心のSOS

精神科の診察室から 精神科医・長岡 和

Vol.10 「日本社会」に於ける精神疾患と
精神科医療福祉の歴史と現状、そして未来

はじめに

 この「精神科の診察室から」は約2年前から連載を始めました。そして、今回が一連のシリーズの最終回となります。毎回、出来るだけそれぞれの精神疾患の特性やその苦しみ等が読者の方々にイメージし易い様にと心掛けつつ、少しでも精神疾患やそれに苦しむ方々への正しい理解に繋がる事を期待しながら原稿を書いてきました。どれだけの方々に興味を持って読んで頂いているのかも私には判りませんでしたがすばらしい機会を頂いたと思っています。全ての疾患が短編の小説形式のフィクションではありますが、私が極めて日常的に診察室で出会う方々の様々なエピソードを参考にさせて頂きました。
 最終回の今回は具体的な疾患から少し離れて、「日本社会」に於ける精神疾患と精神科医療福祉の歴史と現状といった観点から、ストレス社会に生きる私たちの生活やそこで起こる様々な問題に対してどの様に向き合えばよいのかを考えてみましょう。
 まずは日本社会における精神科医療福祉等の歴史やそれぞれの時代の中での精神疾患や精神障害者に対するとらえ方について振り返ってみましょう。

日本社会に於ける精神科医療福祉の歴史

 日本社会に於ける精神科医療福祉の歴史を少しばかり紐解くと、日本で初めて「精神病院」が設立された場所は、明治8年(1875年)の京都です。その名も「京都癲狂院」。京都の南禅寺というお寺の一画に病棟が設置されています。そして、明治12年(1879年)に東京府癲狂院(現東京都立松沢病院)が開設されています。そして、明治33年(1900年)に「精神病者監護法」が制定され、その後、「精神病院法」、「精神衛生法」、「精神保健法」、「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」といった具合に法整備、改正が行われて現在に至っています。

「かつて御仏、いま精神科医」

 更に日本に於ける精神科医療の歴史を見ていくと日本独特の精神科医療福祉の歴史が見えてきます。日本では古代の律令制度のもとに「癲狂」は法的に保護されていました。つまり、日本では古代から精神疾患を「病気」ととらえ、治療の対象と位置づけていたのです。そして、その治療の場、生活の場として精神科コミュニティーの中心的役割を寺院が果たしていました。そこでは一部の漢方薬によるものを除いては現代の様な薬物療法は行われず、水治療法(滝行)、加持祈祷と言ったものがほとんどだったようです。一方、ヨーロッパの精神科病院は監獄から出発した歴史を持っています。そして、宗教的な背景も手伝って精神障害者は「魔女」と称されて強制的に監獄に収監されたり処刑されたりしていました。その様な悲しい歴史を有するヨーロッパの精神科医療福祉から考えれば、かつての日本社会には精神障害者を社会に受け入れるシステムが寺院を中心に存在していたと言えるのかも知れません。そして、今、良くも悪くも、かつての寺院が担っていた役割を精神科病院が担っているのです。更には最近の社会情勢からかつて住職が担っていた役割の一部が精神科医に求められる様に成って来ているのかもしれません。
「かつて御仏、いま精神科医」
 言い換えれば、「宗教から科学へ」ということになりますが、人間はいつの時代も精神的なよりどころを必要とする生き物です。日本全国にある精神科の医療福祉施設がその役割を十分に果たしているとは思えません。しかし、今回の連載シリーズでもお解り頂けた様に私たちは極めてストレスフルな社会に身を置き、日々の生活を送っています。これは小さな子どもから老人に至まで「生きる」という事自体が常に精神的負担を伴うモノであると言えるでしょう。しかし、私たちは体の健康には気を配り、お金をかけ、時間を惜しみません。一方、精神的な面での健康には気を配ることも、お金をかけることも、時間を使うこともしていない様に思います。何故なら、精神面での不調に関しては、他人はおろか自分自身ですら気付く事が出来ないケースが少なくありません。また、仮にその不調に気付くことが出来たとしても、精神的な不調を安心して相談できるだけの人間関係が現代社会に於いては存在しにくくなり、かつての日本社会の様な村社会的なコミュニティーは存在していません。そこで「精神科医に相談してみよう!」と発想する人は極めて一部でしょうし、一般の方々にとってまだまだ精神科医の前に座ることは極めて勇気のいる行為に違いありません。

「自殺」「うつ病」がキーワード

 1998年以降、日本に於ける自殺者数は3万人を超えた高い水準を維持し続け、世界一の長寿国日本にあって自殺は死因の第6位に位置しています。また、働き盛りの中高年男性の自殺者が大きな割合を占めることから、この自殺によって喪失される経済的な損失は計り知れない水準に達し、残された遺族の人生は大きな衝撃をもって一変してしまいます。そんな現状に対してこれ以上看過出来ないとばかりに全国で少しずつ「自殺予防対策」「自死遺族支援」等の芽吹きの声や取り組みを見聞きする様になりました。そして、やや一般の方々には唐突にさえ思えたのかもしれませんが2006年6月の国会では「自殺対策基本法」が制定されるに至ったのです。今、日本社会においては「自殺」「うつ病」をキーワードに精神疾患や精神障害者、そして精神科医療福祉に関して国民の関心が高まりつつある様です。

精神疾患は脳という臓器における一時的、慢性的な生理学的変調

 今回の連載シリーズに登場した「患者たち~主人公~」は誰もが平凡な日常生活を送っていた人たちばかりです。そして、残念なことにその多くは早期に精神疾患として発症を確認され精神科医のもとを受診するケースは稀であり、ほとんどの主人公が家族や友人の強い説得によって半ば強制的に精神科医の前に座ることになったケースです。つまり、人は自らが精神を病んでしまった時、適切な現状認知機能や判断力さえも充分に機能しなくなり、精神科的には素人であるはずの周囲の人々にも精神的な破綻を来たしている事が明らかな状態に至るまで治療のスタートラインに着けないことがお解り頂けたことと思います。また、あくまで精神疾患は脳という一つの臓器における一時的、もしくは慢性的な生理学的な変調であることをご理解頂くことによって、その他の様々な身体疾患と何ら違いのない疾患であるとの認識を持って頂けたならば幸いです。またその理解の基に、適切な診断と適切な治療(主に薬物療法)が提供されればそれらの疾患は充分に改善の方向に向かうということがご理解頂けるのではないでしょうか。

ストレスの海

 私たちは常に「ストレスの海」を泳ぎ(生き)続けています。様々な条件によって時として思わぬ形でそのストレスの荒波に飲み込まれ、足元を波に浚われる事があるかもしれません。しかし、ほんの少しでもその際の対処方法や救命技術を知っていれば大切な命を落とすことなく「ストレスの海」から安全な場所に這い上がり、ひと時の休息を得て、また、「ストレスの海」を泳ぎ(生き)続けて行けるはずです。つまり、精神保健福祉に関する正しい知識と理解が国民一人ひとりに受け入れられれば、その結果として、精神的に健やかな日本社会が創り出され、その時、初めて日本国民は真の健康を手にするのだと思います。

最後に

 今回の連載シリーズが多少なりとも今後の皆様方の真の健康への第一歩、一助となれたのであれば幸いです。また、同時に精神疾患、精神障害者、精神科医療福祉等への理解と興味を喚起することに繋がっていたとするならば私にとって極めて有意義かつ有り難い事です。私の拙い文章と説明にお付き合い頂きまして有り難う御座いました。

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