心が軽くなる子育てご相談 精神科医・宮田 雄吾
vol.12 つい小言がふえるのは愛情?過干渉?
「子どもには社会性を身につけさせたいですし、一方、事件が多い世の中で危ない目に遭わせたくないという思いから、息子(6歳)に対して小言が多くなってしまいます。息子はおとなしい性格で、わりということを聞きます。先日、夫に『おまえは過干渉だ、もっとおおらかに育てたほうがいい』といわれました。私は、愛すればこそ子どものためを思ってしているのですが……」
愛の温度はころ合いが大切 高すぎず、低すぎず…
今も印象に残っている精神科医の先輩から教わった言葉があります。それは「わかりすぎてはいけない」という言葉。要するに患者さんの語ったことがあいまいなときに、「それはどういうこと?」と確認することもなく、勝手にこっちの憶測だけでわかったつもりになってはダメということです。
「おまえは過干渉だ、もっとおおらかに育てたほうがいい」という相談者の夫の言葉は、あまりにもあいまい。精神科医ならこう尋ねます。
「どんなところが過干渉と思うのでしょう?もっとおおらかに育てたほうがよいというのは、具体的にいうと、どこをどのように変化させたらよいという意味なのですか?」
「おまえは過干渉」といわれると、自分の子どもへの関与のすべてが問題のある振る舞いのように思えて仕方なくなりますが、実際にはそうではありません。もし過剰な干渉とみなされることがあったにしても、それは今までしてきたたくさんの関与のなかの一部にすぎません。さらに、おおらかな育児をするにしろ、なんにもいわないのがよいわけではありません。干渉すべきは干渉し、指摘すべきは指摘しなければ、子どもの社会性やマナーは身につきません。
要するに、過干渉をやめるにしろ、おおらかに育てるにしろ、もっと具体的にどこをどうすべきか明確にすることが大切なのです。さらにいうと、間違っても「私は過干渉ママ」などと自分自身にレッテルを貼らないこと。自分の振る舞いのなかで干渉しすぎな部分があれば、そこだけを抽出して、改善すればよいのです。つまり、自分の存在そのものと、自分の振る舞いは分けて考えるべきだということです。
残念ながら、「愛すればこそ、子どものためを思って」行ったことであっても、結果的には子どものためにならないことはあります。でもそれは、お母さんの愛そのものが余計なものだったからではありません。愛の伝える方法がイマイチだっただけなのです。
愛の温度は高すぎれば息苦しく、低すぎればかぜをひきます。ちょうどいい温度を少しずつ探し当ててください。
‹心が軽くなる子育てご相談›
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